ひなにこ人①
主にお野菜と大豆の責任者の祢津 尚(ねつ たかし)です。
子供のころ、おばあちゃんの家から藤の種を拾ってきて、自分で種を家の鉢に撒きました。何日か経っていっこうに芽がでないので鉢の土をほじってみると藤の種から白い根がニョキっとでてました。この時の感激が私が植物と親しく接するようになった原体験です。
園芸高校生の時、「わら一本の革命」「妙なる畑に立ちて」という本に出会い、私の「いのちの舞台としての畑に立つ」という方向性が定まってきました・・・と、いうよりこの十代半ばから後半は人生を非常に悩んでしまい、前に進みたいと思ったところが「いのちの舞台としての田畑」だけだったのでした。
高校卒業後、その当時あった綾賢治の学校自然農生活実践場で自然農を中心とした生活の中で様々な価値観や魅力を持つ人々と出会ったり共同生活をする中ですこしづつ自分のキャパシティーも大きくなることができ、次の段階に進むことができるようになりました。
その後、長野県の自然農法で作物を栽培している農業生産法人で5年ほど働きましたが、自分の未熟さはもちろんありましたがその組織の中でやっていくことの無理、無駄、ムラに心身共に疲れきってしまいました。一時は畑に立つことさえ恐怖を覚えるほど、追い詰められ、疲労してしまいましたが、一体、自分一人の力はいかほどなのだろう、自分の力はこの社会の中で通用するか試してみようと一念発起。農業生産法人を辞めた後は、朝晩、アルバイトをしながら昼間は耕作放棄された畑の開墾を始めたのでした。
朝、5時前に家を出て、アルバイトの一つ目をやって、畑に行って車の中で昼寝して畑仕事をして、そのままアルバイトに行って夜10時過ぎに家に帰る、そんな生活を3年ほど続け、自分で自分の力を試してみました。アルバイトと畑以外どこにも行かないような生活で毎日、自分で作ったオニギリとレトルトのおかずの食事でしたが、純粋に畑や自分と向き合えて本当に充実した楽しい時間でした。
そんな折に今のパートナーと出会い、結婚を機に自分たちで一から農園を始めるため大岡の地に移住してきたのでした。今でも半日はアルバイト、半日は畑仕事という生活が続いていますが着実に土台を固めていっていると実感しています。
「いのちの舞台のとしての畑」で芽吹いたばかりの「ひなたでにこにこ農園」がどんな成長をしどんな花を咲かせるかをホームページやブログで発信していきますのでどうぞよろしくお願いします。